本文へスキップ

宗教法人 日本キリスト教団

TEL/FAX 078-511-4738

〒652-0032 兵庫県神戸市兵庫区荒田町
3-12-14

月報コラム2018

 戻る

2018年12月号「生まれた場所に拘わらず」

 仙台五橋教会に通っていた頃に、宣教師一家による音楽礼拝が守られていました。英語ではなかったと記憶していますが、私にとっては新鮮な体験でした。夏期伝(神学生)時代に立ち寄った高崎教会では、外国語による礼拝も守られていました。その近隣にスバル(元富士重工)の工場があり、ブラジル人など多くの外国人労働者がおられるのだと思います。また、先月訪れた多度津教会では、インドネシアからの技能実習生、通訳、マレーシアからの国費留学生と夕食を共にすることができました。

 日本の労働人口が激減する中で、ますます海外からの労働者が増えてくると言われています。“国民”とは一体誰を指すのかという議論が本格化してくるに違いありません。このようなグローバル化はもはや未来のことではなく、既成事実になっていますから、言葉の違いや文化の違いによる摩擦が起こるでしょう。どのように私たち自身の心を開いていくか、順応していくかという問題でもあります。ただ神戸は、明治維新における開国の先駆的な街ですから、皆さんからすれば「今さら」と思っておられるかもしれませんね。中華街もありますし、多聞教会にもときどき語学留学生が来られます。

 私の前任地であるカリフォルニアのパイン教会も、日本からの移民によって設立されました。最初は中国系教会の一室を借りて、英語を学ぶために日本人が集まっていましたが、そこに信仰の初穂が実ったのです。1886年のことです。官約移民を含め、約束と違う劣悪な労働環境の中で救いを求めた人々も少なくなかったと思います。 時代の流れ、政治、あるいは法律の隙をついて、安い労働力を都合の良いように利用しようとする力は、時代や場所を問わず働きます。「実習」と言われてやって来た外国人の中にも、奴隷のような仕打ちを受ける人もおられるとニュースになっています。21世紀にもなって、人権が蔑ろにされている現実があります。

 私たちはそういったことが極力起こらないように願うのと同時に、すでに起こっている問題に対して何ができるかということを考えてみる必要があると思います。例えば、もし他言語での礼拝を希望されるグループがあれば、礼拝堂をお貸ししても良いと思います。簡単な日本語教室を開いても良いかもしれません。教会は私たちの信仰を養う礼拝所でもありますが、神の福音が成就するための場所であることが理想です。

 私たちは今年もまた、主イエスのご降誕をお祝いします。ベツレヘムの飼い葉桶に招かれたのは、安息日を正しく守ることのできない羊飼い、そして東方から来た異邦人の占星術学者たちでした。救い主誕生の喜びは、特定の階級や民族のみに開かれたものではなかったのです。救いの恵みに与るのに、労働許可証も外国人登録証も、パスポートも必要ありません。天にある神の栄光が地にも満ちるために、私たちの教会と、私たち自身が用いられますようにとお祈りいたします。

2018年11月号「御心ならば」

 「求めなさい。そうすれば、与えられる」(マタイ7:7)というみ言葉は、自分のためであれ教会のためであれ、私たちが思い描く欲求を満たすためのものではありません。「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである」(エレミヤ29:11)と言われている通り、求めるべきは神の御心(ご計画)が成ることです。

 これは直接的にはエジプトからの脱出やバビロンからの帰還を指しており、秘められた計画としてはイエス・キリストの十字架と復活のことだと言えるでしょう。けれども私たちはそのような大きな物語だけでなく、一人一人が生きる小さな物語の中でも神の導きを祈り求める日々です。「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」(マルコ1:40)と願い出た病人は癒されました。まさに「何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる」(Iヨハネ5:14)のです。

 そうなると、何が神の御心で何がそうでないかをしっかりと吟味しなければなりません。案外、胸に手を当ててみれば、自分本位なのかどうかはすぐにわかるというものです。ただ、どうすれば神の御心を知ることができるのか…。例えば使徒パウロは、自ら“トゲ”と表現する何らかの弱さをもっており、幾度も癒しを求めて祈りましたが清められませんでした。しかしその中で、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(IIコリント12:7-9)という主の言葉に励まされ、宣教に尽くすことができたのです。一見、神が沈黙されているかのようでも、それをどう信仰的に捉えていくかということが、試練を乗り越えるための秘訣なのだと教えられています。

 梅花学園創設者の沢山保羅(本年4月号参照)は、留学時代(20-25歳)に受洗し、馬之進からポウロに名を変えました。それは使徒パウロの歩みと自らの歩むべき道を重ねたからです。保羅の身体はもともと病弱で、渡米中にも手術を受けましたが、結局癒されることはありませんでした。帰国後、政府役人として厚遇される道もある中、献身の初心に立ちかえり、浪花公会(現浪花教会)設立と同時に新島襄から受按され、日本で最初の牧師となりました。自分の命が長くないことを宣告されたことで、かえって福音宣教のために一人でも多くの魂を救いたいという思いを強くしたようです。26歳で梅花女学校開校、27歳で天満教会初代牧師として兼牧するなど、日本における初期プロテスタント宣教の草分けとなりました。しかし“神の御心”ゆえに、34歳(1887)の若さで天に召されたのでした。その偉業は言わずもがなです。

 私たちもまた、「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに」(マタイ26:39)と祈られた主イエスに従い、神の御計画に希望を抱き、御心のままにと日々祈る者でありたいと思います。

2018年10月号「礼拝音楽とオルガン」

 宗教に音楽はつきものです。瞑想を促したり祈りのリズムをとったり、あるいは合唱することによって会衆が心を合わせることができます。キリスト教では前身のユダヤ教の時代から、詩篇を中心とした賛美の歌が献げられてきました。詩編100篇には「喜び歌って御前に進み出よ」とありますし、パウロも「詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい」(コロ3:16)と教えています。

 西暦313年、キリスト教がローマ帝国によって公認されると、礼拝は聖職者中心に司られるようになりました。それと同時に、プロの歌手、音楽家が賛美の担い手となったために、一般の会衆が聖歌を歌うことはなくなってしまいました(異端の影響を避けるため?)。実に、1517年の宗教改革に至るまでそれは続いたのです。

 日本の教会は、ほとんどが西洋式キリスト教の流れをそのまま受け継いでいることもあって、会衆賛美の伴奏楽器はオルガンが主流だと思います。ちなみにオルガンという楽器は、古くは紀元前3世紀に「水オルガン」が登場し、前1世紀には「ふいごオルガン」、15世紀後半のルネサンス以降には次々とパイプオルガンが建造されました。オルガンがキリスト教と結びついたのはおそらく9世紀以降だそうですが、13-15世紀の間にはヨーロッパ各地の大教会で見られるようになりました。

 宗教改革者ルターはラテン語の聖歌をドイツ語に翻訳し、グレゴリオ聖歌のメロディーや民謡のメロディーを用いて、一般会衆が馴染みやすいように改作しました。いわゆる「コラール」です。ルターの死後、およそ140年後に生まれたバッハもまた、彼の影響を受けて様々なコラールを作曲したのです。カルヴァンもまた、ジュネーブ詩篇歌(フランス語)を作りました。こうして、オルガンの伴奏によって会衆自らが歌う賛美が、今私たちが引き継いでいる礼拝音楽の一つの形となっているのです。

 ただし、世界中に広がったキリスト教は、それぞれの地域にある音楽や文化と混じり合い、必ずしもオルガンだけが礼拝音楽の担い手になっているわけではありません。ギターやベース、ドラム、あるいは様々な民族楽器、あるいはア・カペラでも構わないのです(個人的にはオルガンの音色が好きなのですが)。

 多聞教会では1998年5月に、ドイツAhlborn社の電子オルガンが設置されました。残念ながら現在、このメーカーは日本に代理店を置いていないので、もし何かの拍子に故障してしまうと修理ができません。設置から20年を経ていますので、今後もできるだけ大切にしたいものです。このオルガンを用いて催される創立記念オルガンコンサート(10/14)でも、ただ演奏を聴くだけでなく、自分自身の歌で神さまを賛美するということを意識しながら、感謝と喜びのひとときを皆さんと共に過ごしたいと思います。ぜひお誘い合わせの上、午前中の記念礼拝からご参加ください。

2018年9月号「広島被災地ボランティア報告」

 私は2004年から7年間に渡って愛媛県に住んでいたということもあって、7月の西日本豪雨被災に心を痛め、日々祈っています。すでに皆さんからの義捐金と教会の災害支援予算から、三間伝道所(愛媛)や三原教会(広島)などへ送金させていただきました。さらに何か具体的に支援できないかと思っていたところ、兵庫教区長田センターから広島ボランティアの呼びかけがあったので、急遽行くことを決断したのでした。

 関係者のご厚意によって8月5日(日)の晩から呉YWCAに宿泊させていただき、翌6日(月)、7日(火)にインマヌエル呉キリスト教会(イムマヌエル綜合伝道団)を拠点とした「呉キリスト教会・ボランティアセンター」(https://www.rescuekure.com)の活動に参加することができました。このセンターは地域の宣教協力会の支援活動の輪が広がって形成されており、各地から教派を超えて沢山のボランティアたちが集まっていました。彼らの宿泊先は、呉の近隣教会が受け入れておられました。普段からの関係があったからこそできる協力体制なのでしょう。

 ボランティア活動は朝8時の集合から始まり、場所や作業の割り振りがなされ、共に祈りを合わせてから車に乗り合わせて出発します。私たち神戸からの5人は、両日とも天応町へ派遣されました。作業内容は、ある被災者の工場敷地内に積み上げられた土嚢(家屋に入り込んだ土や泥)や使えなくなった家財道具などをトラックの荷台に乗せること、そしてマンション横の側溝に溜まった土や泥をスコップで掻き出し、土嚢袋に詰めて運び出すことでした。



 非力なあまり却って迷惑をかけると思い、「軽作業希望」にチェックを入れていたのには何の意味もありませんでした…が、10分作業して15分ほどの休憩を取り、しっかり水分と塩分を補給することで乗り切りました。夕方に作業を終えると、災害ボランティアに無料開放されている温泉で疲れを癒すことができました。呉ボランティアセンターは8月10日に一旦終了となりましたが、まだまだ支援が必要なため、機能を縮小して活動を継続しておられるとのことです。

 7日午後には、ボランティア宿泊を受け入れておられる呉平安教会や、床上浸水された三原教会を訪問し、現状をお聞きました。三原教会の礼拝堂は床上2cmほど水が溜まったということで、補修工事を計画しておられます。日本各地で頻発している災害ですが、どの被災地に対しても息の長い支援が必要なのだということを痛感させられました。私たちの教会も、地域社会のために何ができるか、防災のための準備や教会連携の計画などを整えておく必要があると思います。

2018年8月号「『いのちの水』を読む」

 『いのちの水』(作:トム・ハーパー, 訳:中村吉基, 絵:望月麻生, 新教出版社, 2017)という小さな本が出版されました。この本の内容は寓話なのですが、ハーパー(カナダ聖公会司祭, 神学者)の著書、For Christ’s Sake(1986)の序文に収録されていたものを、今年4月に天に召された榎本てる子さん(元関学神学部准教授)が以前日本で紹介されていたのです。訳者の中村さんは聖書神学校卒の牧師で私の旧来の知人、絵を担当された望月さんは同志社神学部出身の若手牧師です。

 5月頃の朝日新聞でも取り上げられたこともあって売り切れになり、さらに版を重ねています。私も一冊持っておりますのでお見せできますが、書店でお求めになってくださると嬉しいです。ネタバレになりますのでここで中身をつぶさに書くことはできないのですが、誰でも自由に飲むことのできる「いのちの水」を巡り、様々な思惑によって記念碑や大聖堂、壁が造られ、人々の間に「分断」が起こる有り様とその顛末が印象的に語られています。ただし答えのようなものはなく、読者に委ねられています。

 本文中に、“巡礼者”や“預言者”、“神殿”といった言葉が登場しますが、“神”は出てきません。これによってむしろ読み手に自由が与えられていて、読者に信仰があってもなくても人間に潜在する罪のようなものを感じ取ることができると思います。人間とはこういうものだと割り切ってしまう人もいるかもしれませんが…、少なくともキリストを信じる者ならば、これが人間の本性だと決めつけて達観するのではなく、「隣人を自分のように愛する」という生き方があることを思い起こすはずです。

 それは自己犠牲を伴う厳しい道です。自分さえ良ければという価値観から離れることは容易ではありません。それでも私たちは、イエスさまが具体的に示してくださった愛を教えられているので、少しでもその模範に倣いたいものです。イエスさまは今も、悲しみ痛んでいる人や、分断され、切り捨てられた人と共におられるのですから。

 榎本さんや中村さんは、性的少数者にまつわる「分断」を念頭にこの寓話を紹介し、出版されたのですが、それだけでなく、私たちの社会において様々な場面で分断が起こっていると感じます。良くいえば、一人一人の固有の在り方がクローズアップされ、場合によってはそれが認められる時代になりつつあるということであり、逆にいえばそのようなパラダイムシフトに対する逆風が吹き付けているということでもあります。

 この寓話は仏教など他の宗教者にも受け入れられ、各界に紹介されているようです。「分断」という現代社会の病理は、キリスト教にとどまらない普遍的なテーマだからこそ、この小さな本が人々の胸を打っているのでしょう。教会に集う私たちは、いのちの水を独占することなく、あるいは私たち自身が生み出してしまう「分断」を破棄し、それを乗り越えていくための信仰を求めていきたいと思います。

2018年7月号「牧会訪問」

 私は多聞教会に着任してから、火曜日を牧会訪問に充てるようにしています。もちろん火曜日以外にも訪問させていただくこともあるのですが、「訪問」するということは単なる交わりではなく、「牧会」であるという考えを持っているからです。この考えに至った理由の一つとして、ある先輩牧師が「牧会は書斎でできる」とおっしゃったということがあります。

 おそらくこの先生も、様々な経験の中から自分なりの牧会姿勢を取っておられるのでしょうから、批判するつもりはありません。訪問しない理由として想像できるのは、牧師と信徒との関係においてあまりに個人的なつながりが強くなり過ぎることで、副作用が起こり得るということです。本来、牧師も信徒も同じ神の方向を向いて歩むべきなのに、互いに向き合い過ぎると摩擦が起こってしまい、最悪どちらかが教会を去らなくてはならない事態を招くこともあるのです。

 ちなみにこの先生、同じ教会に数十年に渡って在任しておられますが、そこに何らかの秘訣があるのかもしれません。「牧会を書斎で」という言葉にはもっと深いお考えがおありでしょう。何れにしても、人と人との間に聖霊の働きがあるということを念頭においた牧会はとても大切だと思います。これは牧師と信徒だけでなく、家族間や友人間でも同じことかもしれませんね。

 私はこのようなことを踏まえた上で、やはりご自宅や病床、施設、もし可能であれば職場にさえ訪問したいと考えています。というのも、その方の生き方や考え方に寄り添うためには、ただお話しをお聞きするだけでなく、アルバムを見せていただいたり、趣味を披露していただいたりすることにも意味があると思うからです。その方の背後にある神さまの恵みや、与えられている賜物を再発見することもあります。あるいはこちらの思い込みが打ち砕かれるという経験もしますし、自分のことをわかっていただく契機になることもあるのです。

 互いの良さを知り、そして弱さを知り、一人一人が神さまに愛され、生かされていることを認め合う関係を、教会で実現して行きたいのです。そして、主イエス・キリストの体として共に生きることの具体的な営みの中で、上も下もない親しい交わりがますます豊かに深まればと願っています。

2018年6月号「賜物としての命」

 最近のニュースで、iPS細胞からシート状の心筋を作ることに成功し、その臨床研究計画の審査がスタートしたことを知りました。シャーレに入ったピンク色の心筋シートが自然に伸縮する様子は異様でもありましたが、一日も早い治療を願っている患者らには希望の光なのだと思います。同時に、科学技術の発達のスピードが私たち人間の生命倫理の分野を追い越し、「心」に作用し得る様々な課題については置き去りに、おざなりになっていないか、いささか心配です。

 もちろん近代化社会に生きる私たちは、すでに様々な技術革新とその応用によって生かされているので、どこまでが良くてどこまでが悪いかという一線を、自分だけの感覚で引くことはできません。インフルエンザワクチンは良くて、心筋シートはダメだということもできないでしょう。一方で、どれだけ優れた医療技術だとしても、特定の文化的、宗教的な背景では許されたり許されなかったりすることを考えますと、もはや世界で画一的な倫理や道徳の基準を作ることは難しい状況です。

 ごく身近な例で言えば、健康保険証の裏面で、臓器提供の意思表示ができるようになっています。自分の体をどのように扱うのか、個人の意志に任せられているのは良いことですが、私たち一人一人に重たい判断が委ねられていますし、家族とも十分に話し合っておくことが大切です。その判断が誰にも否定されることなく、尊重されなくてはなりません。けれども私たちは、臓器提供に関して起こり得る諸々の「心」の状態や課題について、いつどこで充分に学ぶ機会があったでしょうか。

 また私たちの人生は思いの外、社会の経済活動の枠組みの中に閉じ込められています。アメリカ、カナダ、オーストラリアなどでは定年制が禁じられています。働きたい人を年齢で差別できないことになっているのです。ヨーロッパ諸国では日本と同じく、定年年齢と年金需給年齢が連動しているのが一般的だそうです。ある程度の決まりがあった方が、将来の計画を立てやすいということもあるかもしれません。ただ、全ての人が同じ状態、条件になるとは限らないのが実情です。わかっていることは、私たちの誰にも例外はなく、時が過ぎれば歳を重ねることになり、長くても短くてもやがては死が訪れるということだけです。それは神に命を与えられたものの定めです。

 その命の価値を、経済活動というモノサシで測るべきではありませんし、ましてやそのモノサシを教会の中にまで持ち込む必要はありません。それぞれが与えられている賜物を、老いも若きも共に手を取り合いながら、神の栄光を地上に現すために用いることができるのです。年齢制限も無ければ、知識や身体能力が問われることもありません。神は私たちの命そのものを慈しみ、喜んでくださるのです。今月末に予定されている修養会でも、そのような恵みについて学び合うことができればと願っています。

2018年5月号「一粒の麦」

 ヨハネによる福音書12章24節に、「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」というイエスさまの言葉があります。このとき、大勢の群衆の「ホサナ!(救い給え)」という叫びの中でエルサレムに入城されたのですが、その行く末は決してこの世の王としての栄光ではなく、十字架であるということを暗示されたのです。イエスさまだけが神のみ心に従い、ご自分の命によって私たちを贖うために歩んでおられたのでした。

 しかし神の子であるイエスさまにとって、死は終わりではありませんでした。神の愛は死に屈することなく、復活の出来事によって私たちに確かな救いの希望が与えられたのです。私たちは先月のイースターでこの恵みをお祝いしました。去年から始めた十字架の花飾りもとても綺麗でした。誰もが生きとし生けるものとしていずれ死を迎えますが、そのことをもはや恐れる必要はないこと、神の愛と平安があることを私たちは信じます。こうしてイエスさまという一粒の麦をとおして、私たちのうちに信仰という実がなったのです。そして今度は私たち一人ひとりが一粒の麦、一粒の種となっていずれ地に落ちたとき、多くの実を結ぶことができるようにと願います。

 4月25日、お世話になったT先生が55歳という若さで天に召されました。26日の“Celebration of Life”と名付けられた前夜式(京都葵教会)に参列しましたが、およそ500人が集い、先生を偲びました。先生は、この世で生きづらさを感じている人々にとことん付き合った方でした。誰もが口を揃えて、先生がどれほど愛に溢れた人であったか、そして人と人を結びつける賜物をもっておられたかということを分かち合いました。確かに先生は肉体としての死によって神のもとへ召されましたが、しかし私たちへその志が受け継がれています。死によってその愛が滅ぼされることはありません。

 実際のところ、後世に語り継がれるような、目に見るような何かをこの世に遺すことができる人はそれほど多くないでしょう。それでも私たちは、イエスさまが与えてくださった愛を受けることで、十分に実を結ぶことができます。愛は、分かち合うことで減るものではありません。むしろ与えたり受けたりすることで、無限に広がるものです。私たちは惜しまず、与えられた賜物をいかしつつ、一人でも多くの人々にこの事実をお伝えできたらと思います。

2018年4月号「地域における教会の役割」

 4月から梅花学園女子高校で非常勤講師(聖書)を引き受けることになりました。宇和島時代に中学や大学で教えていたこともあるのですが、数年ぶりのことで少し不安です。教員免許は10年の更新制度があり、慌てて30時間に及ぶ講習を受けたところです。

 梅花学園は、1878年1月に開校された歴史あるキリスト教主義学校であり、年度で数えれば多聞教会と同じ創立140周年を迎えました。創立者は、日本で初めて按手礼を受けた沢山保羅(ぽうろ)牧師です。この学園の特色は、海外からの宣教師ではなく、地域の日本人教会の協力によって設立された、いわば教会立学校だということです。また、開校直前の校舎において、神戸、多聞、兵庫、三田、梅本町、浪花、京都第一、同第二、同第三の9公会の代表が集い、伝道会社設立が決定され、その年の秋に「日本基督伝道会社」(後の日本組合基督教会)が立ち上げられたという経緯もあります。この度、私が多聞教会の牧師として聖書科教育に携わることになったのも、特別な意味があるように感じています。

 明治維新後、宣教師や多くの日本人キリスト者らによって、各地にキリスト教主義学校が設立されました。県内だけでも、関西学院、神戸女学院や頌栄短期大学といった教団関連校があります。それぞれが建学の精神としてキリスト教主義を打ち出しているのですが、必ずしも創立者たちの精神や理念が十分に引き継がれているとは言えない側面もあります。もちろん学校の維持発展のために、キリスト教を全面に押し出すことが難しいという現実もあったのでしょう。しかし少子化が進む今、キリスト教主義を強調することがかえって学園の揺るがないカラーとなり、地域や保護者、そして学生の関心と信頼を得るチャンスが訪れているとも考えられます。

 そしてその「キリスト教主義」の土台となるのが、私たちの教会が担うべき役割です。教会は、単に「主義」として信仰を持つ団体ではありません。学校で初めてキリスト教に触れた学生たちが地域の教会につながるためには、各教会が相応の備えをしなくてはなりませんし、牧師を派遣するだけでなく、そのような学校を選んで子どもを送るということも大切でしょう。その他、病院や施設といったキリスト教主義関係諸団体とどのように有機的に結びついていくかということも、地域への宣教(ミッション)であることを覚えつつ、多聞教会の役割を考えていきたいと思います。

2018年3月号「受難節あれこれ」

 キリスト教には独自の暦がありますが、現在私たちは受難節(Lent/レント)を過ごしています。Lentの語源は"Lencten/春"ですが、それをさらに遡ると"Lengthen/長くなる"に由来があります。確かにここのところ、夕方でも明るさを感じるようになってきました。このレントの始まりの日は「灰の水曜日」とされ、教会によっては牧師や司祭が指に灰を付け、信徒はひたいに十字の印を描いてもらって一日を過ごします。当初は灰を頭からかけたり散らしたりしていたのだそうですから、ずいぶんとスマートになったものですね。

 レントの間、クリスチャンは祈りと慈善を心がけます。例えば甘いものを断つ、お酒を断つ、毎日少しの克己献金をするなど、それぞれの方法で、主イエスが荒野で40日間断食されたことに少しでも心を向けようとするのです。メソジスト派を作ったジョン・ウェスレーという人は、実際に週2回、断食をしていたと言われています。彼はその分、貧しい人に施すことができ、祈る時間が増えて、より信仰が訓練されると信じていたのです。私たちは断食まではしないにしても、何らかの具体的な決め事をして、主イエスが悪魔の誘惑に打ち勝たれたことに少しでも思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

 一方でその昔、この時期に卵や牛乳を使うのを避けた修道士によって、ブレーツェルという焼き菓子が作られたのだそうです。この菓子の形は、腕を胸の前で交差させて反対側の肩を触る祈りの姿に似せていて、当時の子供たちに振る舞ったのだという逸話があります。言われてみればそんな風に見えてきました。
(近藤作)

 もう一つ、リオのカーニバルというのは「謝肉祭」として有名ですが、"carnem/肉"を"levare/取り除く"、つまり受難節の前に「肉を断つ/辞謝」という語源があります。私はこれまで知りませんでした! こうして日本文化の中で過ごしていると、なかなかキリスト教信仰と日常生活が結び付かないことが多いのですが、4月1日のイースターまで主イエスの十字架への道を思いながら、しかし希望を胸に抱きつつ歩みたいと思います。

2018年2月号「地域へのアプローチ」

 あえて言うならば、都市型の教会には弱点があります。それは、近隣の教会との交わりがとても少ないということです。多聞教会は、大庭会が但馬日高伝道所やナザレン教団神戸平野教会との交流をもっていますし、喜楽会は兵庫松本通教会との合同例会をもっています。しかし基本的には、多聞教会独自の年間行事があり、他の教会と合同の行事はもっていません。私たちの教会が自立して活動できているということは、良い面でもあります。

 一方で、私がかつて牧会していた宇和島信愛教会の地域(四国教区南予分区)では、一つ一つの教会の規模が小さいので、様々な行事を分区合同で行っていました。もちろんそれぞれの教会で大小の集会は持たれていましたし、兵庫教区でも各種委員会等による活動は開かれているので、一概に比べることはできません。けれども南予分区で見た光景は、この地域の教会に連なる人々が互いに顔と名前が一致していて、長年積み重ねられた強い結びつきがあったということです。一つの教会で亡くなられた方があれば共に悲しみ、受洗者が与えられると分区全体の喜びとなるほどでした。

 牧師(教師)側の集まりにも違いがあります。南予分区では毎月一回の教師会がもたれています(神戸地区にはありません)。勉強会も兼ねていたので、良い交わりと学びのときでした。旧教派的な(長老、メソジスト、組合などの)違いがあり、牧会の考え方に大きな違いがあったとしても、主イエスのもとに共同して働くことのできる良い機会となりました。

 兵庫教区は、全国的に見ても教会の多い地域です。開港151年目、外国人居留地であったことがその理由でしょう。多聞教会も141年目を迎えた歴史ある教会です。交通網も充実しているので、信徒が自分の求めるスタイルの教会を探しやすいという都会ならではのメリットもあります。しかし教会の数は多くても、その連携は弱く、ただ点在しているというのが現状でしょう。逆に言えば、面としての牧会、地域に根ざした教会となることがなかなか難しいのです。幼稚園があれば違うという意見もありますが、今は園バスでどこまででも迎えに行く体制が取られたりしているので、以前とは違うでしょう。

 人口や環境が異なる場所を比較するのは難しいですし、都市型教会ならではの在り方をさらに模索していくのが正解かもしれません。しかしそれと同時に、地域に開かれた教会としてこの地に多聞教会が立たされていることにも、神のみ心があると思います。近隣教会との交わりを重ねることで信頼関係を築き、協力しつつ地域に仕えていく方法もあるのではないでしょうか。

2018年1月号「聖なる生けるささげもの」

 「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい」(ロマ12:1)というパウロの言葉がありますが、かつてアブラハムがその子イサクを「焼き尽くす献げ物」にしようとしたことが思い起こされます。アブラハムは僕エリエゼルに跡を継がせようとしたり、イシュマエルが生まれたりしましたが、神のみ心によってついにサラとの間にイサクが与えられました。しかし今度はその子を献げなさいと神に命じられたのです。そしてモリヤの山で、子羊ではなく愛する息子を屠ろうとしたとき、天から主の御使いが呼びかけ、彼の義が認められたのでした。(創22:12)

 本来「いけにえ」とは子羊であれなんであれ、その命を犠牲とすることが求められます。ところがパウロは、「生けるいけにえ」と言っています。私たちが自らを献げるときには命を捨てる必要はなく、生きたままで良いのです。それはもちろん、イエスさまご自身が私たちの身代わりになってくださったからです。その犠牲があるからこそ私たちは生きたままで、神に自分を献げることができるのです。

 それでは生きたまま献げるとはどういうことなのでしょうか。パウロは先ほどの言葉に続き、賜物(預言、奉仕、教え、勧め、施し、指導、慈善)を用いて働くことを勧めています。つまり私たちが献げるのは、死んで動かなくなった動物ではなく、私たちの行動が伴った「生けるささげもの」でなくてはならないのです。私たちの日々の祈りや賛美、交わりや奉仕といった具体的な働きが無ければ、どれほど神を信じたとしても十分ではありません。イエスさまが愛の伴わない信心と度々闘われてきたことは、福音書に記されている通りです。

 神戸多聞教会は昨年、創立140周年を迎えました。大勢の方々の協力によって建物修繕を済ませ、10年間の記念誌をまとめることができました。また、バザーやクリスマスをはじめ、様々な行事やささやかな奉仕も、私たちの生けるささげものと言えます。そして日曜ごとの礼拝と合わせて、これら全ての働きが神への礼拝なのです。

 2018年に入ります。神戸多聞教会に連なるすべての人々が、それぞれの賜物を喜びをもって聖なる生けるささげものとするとき、家族、仕事、学校、施設、そして地域のあらゆる場所にその愛を携えて出かけて行くとき、必ずイエスさまが共にいてくださいます。そしてそこではすでに神の国が実現しているのだということを信じ、希望をもって新しい一年を歩んで参りましょう。


Kobe Tamon Church神戸多聞教会

〒652-0032
兵庫県神戸市兵庫区荒田町3-12-14
TEL 078-511-4738
FAX 078-511-4738